『最後の会話』1<<2<<3<<4
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「僕だって信じてなかったよ」
サトウ少年はすでに涙声になっている。
熱くなっていた弘人の頭は、今ではもう血の気が引いていた。
「乗り切れると思ってたんだ。悪夢くらいなんだってね。でも無理なんだ。逃れられなかった」
「どうして」
「理由なんて話しても分かってくれないよ。あの悪夢は自分で見てみないと分からない。自分でもあそこまで耐えられないなんて思ってなかったんだ。とにかく怖いんだ……あの死んでいく映像と感覚が。最後には、昼間でさえも白昼夢として見るようになってた」
信じられないはずなのに、体の震えは止まらなかった。弘人は携帯電話を握り締めた。手のひらに汗が滲んでいる。
「でも」弘人は思い出したかのように、口を開いた。「悪夢なんて見ないかもしれないじゃないか。しかも話を聞いたとしても、全く同じ夢なんて」
サトウ少年はその言葉を聞いて「ああ」と納得がいったかのように呟いた。
「この電話を受けた人は絶対に見る。それだけは言い切れるよ。でも、僕もムラタさんも、その前のキムラさんも、全く同じ夢ってわけじゃないんだ。内容は同じだけどね」
「どういうことだよ」
サトウ少年の声はもう諦めが入っていた。ここまできたら全部話さないといけないだろうという、諦めの感情。それが垣間見えた。
「僕の夢には、ムラタさんが出てきた」
「え?」
「そしてムラタさんは、キムラさんの夢を見ていたんだ」
弘人は理解ができなかった。だって……。
「ムラタさんは知らない人だったんだろう?」
「そうだよ」
「じゃあなんで夢に出てきた人が、ムラタさんだって分かるんだ? 想像?」
サトウ少年はくっと喉を鳴らした。笑っているという感じではなかった。
少年はゆっくりと言葉を区切って答えた。
「僕は、ムラタさんの顔を、知っているんだ」
「どうして。知らない人なんだろ?」
サトウ少年は、あまり言いたくないと呟いたが、弘人はそれを聞き入れなかった。答えろよ、そう急かすとサトウ少年は重々しい口を開いた。
「ムラタさんに、会ったんだ」
「……」
弘人は一言も聞き漏らすまいと、耳を傾けた。サトウ少年は涙ながらに続けた。
「僕は、ムラタさんが自殺する瞬間を、見てしまった」
ざわっと音を立てて、頭の中が揺れた。何も言葉が出てこない。サトウ少年は弘人のその様子から、反発される前に一気にまくしてた。
「電話を受けてしまったら、必ずその人の自殺の瞬間を見てしまう。ムラタさんもキムラさんの死ぬ瞬間を見てしまったって言ってた。そのキムラさんも電話を受けた直後に見たって……。その自殺の瞬間を見てしまったからこそ、リアルな悪夢を見てしまうんだ。……ムラタさんは、その悪夢のサイクルを止めようとしていた。絶対誰にも見られないように、人のいない山の中で、一人で死ぬ。だから君は心配するな。そう言ってムラタさんは首を吊った。そこまでムラタさんは頑張ったのに……僕は見てしまったんだ」
「……なんで」弘人はやっとのことで言葉を発した。「そいつは山の中で死んだんだろ?」
サトウ少年はふっと笑った。まるで、自分を嘲笑うかのように。
「僕はその日、友達とキャンプに行ってたんだ」サトウ少年は小さな声で呟いた。「電話がかかってきた時、僕はテントを抜け出して山の中を歩いていた」
そんな偶然なんてあるだろうか。山の中で自殺者に遭遇する確立なんて、そう滅多にあるはずがなかった。
「逃れられない。それを見たとき、そう直感したよ。どんなに人に見られないように考えても、その近くにいる人に電話をしてしまう。それがサイクルなんだ」
弘人は何も言えなかった。
「僕が話したいことは、これだけだよ」サトウ少年は小さくいった。「でも、最後に……」
「何だよ」
弘人はもう止めることでさえもしたくなかった。早くこの電話から解放されたい、それだけを願っていた。
「あなたは、今、家にいる?」
「そうだ」
「じゃあ……絶対に窓の外を見ないで。カーテンを閉めてほしい」
サトウ少年は真剣だった。
「できることなら、僕で終わりにしたいんだ。最初は自殺なんて絶対しないと誓った。でもダメだった。それからは絶対に死ぬ前には電話をしないと考えた。でも……今の状態で分かるだろう? だから、あなたさえ見なければ、それで終わる。そうだろう? あなたの家がどこにあるのかは知らないけれど、あなたさえ外を見なければいいんだ。あなたの部屋で死ぬわけじゃないんだから。あなたが悪夢を見る原因を作りたくない」
弘人は、その少年の泣き声を聞いて切なくなった。理由は何であれ、まだ中学生だというのに、こんなにも人のことを考えて死のうとするとは……。
「分かった。絶対に見ない」
弘人ははっきりと、そう答えた。任せろと言わんばかりに。
「ありがとう……」
サトウ少年は安堵の声を出した。それからしばらくの間、沈黙が続いた。嫌な静けさではない。風の音がサトウ少年の後ろで聞こえていて、弘人はその命が消えてしまうことが信じられなかった。
「じゃあ、僕はもう行くね。絶対に、見ないでね」
「分かってる」
「それじゃ」
弘人は窓のカーテンに手を掛けた。そして、勢いよく引いた。
「――っ。……え?」
信じ、られなかった。何を見たのかも、分からなかった。
カーテンを閉めた瞬間、窓の外に、何かが、通った。
耳にあてていた携帯が、ガシャンと大きな音を立ててから切れた。
一気に鳥肌が立つのが分かった。そんなことは有り得るのだろうか。確かめたい。けれど、見てしまったら……。
俺は、本当に悪夢を見るのだろうか。
一週間後、本当に自殺を決意するのだろうか。
そして、本当に電話をしてしまうのだろうか。俺の話を聞いてほしいと――。
弘人は、十八階建てのマンションの七階の自室から、窓の下を見下ろした。
(うそだろ……)
電話が切れる前に一瞬だけ聞こえた、肉のつぶれるような不快音が、耳にこびり付いて離れなかった。
了
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