『崩壊』1<<2<<3>>4
(もう、何だって言うのよ……)
もう半分泣きそうになりながら、美智子はまだ床に落ちたままになっているモノを見つめた。
先程よりは幾分か落ち着いてはいたが、それでも頭の中は疑問符ばかりだ。
袋に入った赤く塗れた指は、蛍光灯に照らされて艶かしく光っている。
切り落とされてすぐに密封したのか、まだその血は液体のままで溜まっている。
これは本物なのか精巧に作られた偽物なのか――まだ確認する勇気はなかった。
それに目をやるたび、指は頭の中で血を振り撒きながら踊りだす。
美智子は顔をしかめて再び携帯を握りしめた。
今度は携帯の中に入っているアドレス帳から「秀哉」と表記された番号を表示させると、力を込めてボタンを押した。
五回ほど発信音が鳴ってから、プツっと音を立てて通話が開始された。
『届いた?』
もしもしさえ言わずに、秀哉は嬉しそうな声を上げた。
いきなりの本題に、美智子は眩暈を感じた。
胸がザワリと音を立てる。
この違和感は何だろう。この明るい声はいつもと変わらないのに――いや、変わらないからこそおかしいのかもしれない。
あの母親の声を聞いたあとでのこの態度は、例えようのない不快感があった。
「あれは、何?」
腹に力を込めて美智子は言葉を搾り出す。
秀哉とはそこまで仲がいいわけではなかった。週に二三度は兄弟喧嘩をしてしまうような――それでも嫌いになれない――そんな関係だった。
『何って写真だよ。正月に撮ったヤツ』
「そうじゃなくて……もうひとつの」
あっけらかんとしたセリフを返す秀哉に、探るように答えを促す。
『ああ、薬指だよ……親父の』
まるでそれが何でもないことだとでも言わんばかりに簡単に返された。
目の前が真っ白になった。もうこのまま倒れてしまいたかった。
これが夢であってほしい――。
「お父さんの?」
声が震えるのが分かる。
見覚えのある指――父のものだったのだ。そう分かると再び吐き気が込み上げてきた。
頭の中で初めて、血に塗れた指が父と重なった。
それは信じがたいほど、記憶の奥に残っている父の指と完璧に一致していた。
もうこの電話を隔てた向こう側で何が起こっているのか理解できなかった。
否、理解したくなかった。
『そう、親父の。どの指にしようか迷ったんだけどさぁ、やっぱ姉貴だし? お姉さん指にしてみた』
秀哉はあははと乾いた笑いを零す。
「お父さんに……何したの」
美智子は聞きたくないと思いながらも、ぐっと喉を鳴らして問いかけた。
しかし返事が帰ってくる前に、ふいに沈黙が訪れた。
切れたのかと思って携帯を耳に押し付けると、くすくすと小さい笑い声が聞こえた。
秀哉じゃない。これは――。
『今のは久美子ね』
唐突に秀哉が脇から口を出す。
久美子――秀哉の一つ下の妹だ。
「久美子……」
もう何も言葉が出てこなかった。
秀哉は笑いを噛み殺しながら小さく囁く。
『久美子と話したい? たぶんまともに話せないけどね』
くくくっという笑い声が余韻を残しながら、再び久美子の笑い声の下に電話が寄った。
「久美子……久美子っ」
美智子は必死になって呼びかけた。
止まらないくすくすという笑い声――違う、違う。笑い声ではない。
泣いているのだ、声を殺して。
「何で泣いてるの……久美子ぉ……」
美智子は涙が溢れてくるのが分かった。
自分のいないところで何かが起こっている。
けれど自分ではどうしようもないのだ。それを知ることもできない。
『ハイ、久美子終了ー』
秀哉がのん気な声を出した。そしてそれに続いて小さな悲鳴が上がった。
くうという呻き声と、やめてと叫ぶ母の声が重なって聞こえた。
「ちょっ……今何したのっ」
『別に。何もしてないよ』
白けたような口調でそう告げると、秀哉は再び笑い出した。
『久美子も母さんも元気だから心配しなくていいよー。でさ、本題入っていいかな』
久美子も、母さんも?
「……ちょっと待って」
『何、早く話したいんだけど』
美智子の制止の声に、秀哉は不満の声を上げた。
「……お父さんは?」
明らかに避けていた父の名前。
それが意図するのは――。
『ああ、別に……元気、だよ』
嘘だ――さっき母が嘘吐いていた時のように、はっきりとそれは分かった。
意図するのは……もう考えたくない。
『もう本題入るよ』
じれったそうに声を荒げる秀哉は、美智子の返事も聞かずに話し始めた。
『写真、見てくれた? あれすごいよねー。みんな目つぶっちゃってさ、死んじゃったみたいだよ』
今向こうがどんな状況なのかは分からないが、嬉しそうに話す秀哉は異様な雰囲気を醸し出していた。
『うちの家族って仲いいよね。まぁ喧嘩はするけど、みんなお互いのことを考えてるって感じでさ。なんか通じ合ってるみたいだよね。なんて言うんだろ……団結してるって感じかなあ。あはは、俺かっこいいこと言ってるよ。でも家族ってこーゆうものじゃないとねー。俺最近になってそれが分かったんだよね、五人揃ってるからこそ家族なんだって』
いつになく饒舌な秀哉に対して、美智子は硬く目を閉じてそれに耳を傾けていた。
秀哉の言葉を借りると「かっこいいこと」を言っているはずなのだが、状況を考えるとそれも虚言にしか聞こえなかった。
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