『怖くない』
ほらね、全然怖くない。
□ 怖くない □
「全然怖くないよ……」
鬱蒼とした林の中を歩きながら、私はぽつりと呟いた。
「うん、怖くない」
怖がっていたなんてみんなに知られたら、あとで笑われるに決まっている。
私は何度も口の中で呟く。
「怖くない、怖くない」
唇がわなないている。
でもこれは――そう、武者震いだ。
そう自分に言い聞かせる。
「怖くない」
――なんで一人ずつなんだろう。
手に持ったものが汗で滑り落ちそうになった。
私は震える手を握り締める。
――普通二人一組じゃないの?
そう考えてから私はぐっと唇を噛み締めた。
「怖くない」
もう一度自分に言い聞かせる。
何が出るわけでもないんだから。これはただの肝試し。
出るとしたら面白がってメイクを施した友達だけだ。
だから――。
「怖くない」
あそこに見える白い影は、たぶんエリ。
「怖くない」
ずっと感じている背後の気配は、たぶんコウスケくん。
「怖くない」
あの木の陰から見つめている人は、たぶんミーコ。
「だから、怖くない」
がさがさと落ち葉を踏みしめながら、私は歩き続けた。
ずっと泳がせていた視線を前へ向けると、少し先に開けた場所が見えた。
あそこを抜けると、折り返し地点になる。
「全然怖くないよ」
私はほっと息をついて胸を撫で下ろした。
その瞬間、目の前に人影が飛び出してきた。
私は大きく体を震わせて、悲鳴をやっとのことで飲み込んだ。
反射的に目を閉じてしまった。
私は噛み合わない歯をガチガチいわせて、声を荒げた。
「怖くないもん!」
その人は奇声を上げて私に覆いかぶさってきた。
私はがむしゃらに手を動かした。
「怖くない、怖くない」
ふっとその人が離れた。
動かしていた私の手が、風を切った。
私は固く目を閉じて唇を噛み締めた。
怖がっていたなんて知られちゃいけない。
今のはたぶんマイだ。
冷静になれ――私は自分に言い聞かせる。
そっと薄目を開けると、目の前にはマイがいた。
(やっぱりマイだ)
マイは服を真っ赤に染めていた。
マイはまだ変な奇声を上げていた。
「そんなの全然怖くないよ」
私はにっこり笑ってマイに話しかけた。
けれども声は震えていた。
私はマイに背を向けて再び歩き出した。
マイのうめき声が後ろから聞こえる。
「怖くない、怖くない」
私は再び呟き始めた。
私の手はカタカタと震えていた。
手の中にあるサバイバルナイフがぬるりと滑り落ちそうになった。
私は頬を濡らしている赤い液体を手の甲で拭った。
――マイの声が聞こえなくなった。
私はほっと息をついた。
「ほらね、全然怖くない……」
――風の中で誰かの笑い声が聞こえた気がした。
了
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